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■非常に寒い 寒い毎日が続いていますが皆さんいかがお過ごしでしょうか。 こんなに寒いと来年の-中略-なっているんじゃないですかな。(笑) 冬の必需品と言えばコタツ、湯たんぽ、カイロ、猫ですが今回はカイロについてちょっと思ったことを書きたいと思います。 ちょっと奥さんご存知? 最近のカイロって貼れるタイプがあるらしいんですのよ。 粘着部分がはじめからついていて簡単に貼ることが出来るらしいんです。 貼るカイロはとても便利でカイロをあまり使わなかった自分も最近は愛用しています。 ところで「貼るカイロ」という言葉は通常のカイロが存在することを前提として成り立つ言葉なわけですよね。 普通のカイロがあってその貼れるタイプとして「貼るカイロ」というのが成立するのです。 ポルコ・ロッソ風に書けば 「貼れねぇカイロはただのカイロだ」 この前、薬局で買い物をしていたらカイロが売っていたのですが、ディズ○ーを皮をかぶったそいつは自らを「貼らないカイロ」と自称していました。 「貼れない」ではなくて「貼らない」。 ホントは貼れるんだけど敢えて貼らないみたいなスタンス。 ひょっとしたら粘着部分はあるんじゃないかとも思えるその自信は一体どこからきているのでしょうか? ただのカイロも貼らないことを誇るときが来たのか!? 貼らないといわれれば天邪鬼な自分はリャンメンテープで貼り付けてやろうかとも思いましたが、実行には移しませんでした。 剥がした時に熱い粉が飛び出たらパニックになること必死だからです。 意外と慎重だよ。 今後貼るタイプが一般化して普通カイロと立場が逆転して貼るタイプを「(ただの)カイロ」と呼ぶ様になっても、通常のカイロは「貼らない」ではなく「貼れない」と呼ばれると思われます。 貼れないより貼らないの方が前向きな感じはしますけど。 貼らないカイロは桐灰化学株式会社の商品です。 桐灰化学株式会社 貼らないカイロ Google検索「貼らないカイロ」 もしかして?・・・貼れない 2006/1/7
■念願の新作「ラジルギ」 既知の事柄かもしれませんが、ドリームキャスト用の新作ソフトが発表されました。 「ラジルギ」 2006年2月16日発売予定。 もとはNAOMI GD-ROMのアーケードゲームでジャンルはシューティング。 アーケード版開発とドリームキャスト版発売は有限会社マイルストーン。 マイルストーンは同じくNAOMIからドリームキャストに移植されたカオスフィールドでドリキャスユーザーにはおなじみでしょう。 ドリキャスユーザーでありシューティングファンでもある筆者にとってはまさに待望の新作です。 アーケード版ラジルギに関しては現在未プレイです。 一度プレイしに行ったのですが大きな店舗に行ったのがまずかったのか残念ながらラジルギが置いてありませんでした。 ラジルギというかシューティングが全く無かったのでラジルギ以前にシューティングの衰退を感ぜずにいられなかったのはシューターとしては寂しかった。 さてラジルギですが、まだ予約はしていませんが購入はほぼ決まり。 ただ若干不安もあります。 マイルストーンの「カオスフィールド」も予約して購入しましたが、すぐにゲームキューブにて「カオスフィールドエクスパンデッド」を発売したのはドリキャスユーザーとしては残念でした。 メーカーとしては機種ごとの位置づけや差別化なども戦略として必要なのでしょうけど、ハードが違うからといって一方のユーザーに不利益がでるようなことは行ってほしくはありません。 ちょっと感情が突っ走ってしまいましたが、客観的に判断してカオスフィールドの一件に限って言えば前述の様な著しい不利益がドリキャスユーザーにあったかというとそうではなかったとは思います。 個人的思いとは別にマイルストーンの戦略は比較的悪くはなかったと思います。 ハードごとの位置づけや他機種との差別化の範疇は超えてはいないと考えています。 ドリキャス版購入時にはゲームキューブ版の発売はわかっていたし、価格がドリキャス版の方が安かったので、ドリキャス版はアーケード完全移植版という位置づけで、早く発売することで他機種とは差別化をはかり、ゲームキューブ版は追加要素でドリキャス版との差別はかる。 十分理解できます。 しかし、極めて個人的な意見を書かせてもらえば出来ることならドリキャス版も追加要素を加えて欲しかった。 特にカオスフィールドの場合ドリキャス版からゲームキューブ版発売までの期間が短かったこともあり出来ることなら発売日が遅くなっても追加要素を入れて欲しかったという気持ちは大きい。 他社の話ですが、追加要素有りの他機種版をDC版発売から極めて短期間に発売してなおかつドリキャス版購入時には他機種版発売が知らされていなかったことがありました。 こういうのはユーザーに対する裏切り行為に近いものがあると考えています。 このメーカーは二度おいしいとでも思ったのでしょうか。 期待して買ったのに、また他機種版を購入しなければいけないのでしょうか。 当然ですが、ある程度期間が長ければこの限りでは無いと思われます。 同機種でも短期間での安易なベスト版などはユーザーの不信感にもつながりかねない所業だと感じています。 ベスト版に関しては店舗側に負担がかかるという問題もあるようです。 ベスト版も含めて事前に告知の無い他機種版は一年ぐらい期間をあけたほうが無難ではないかということも付け加えておきます。 心の狭い私個人的には他機種版は出ない方がよいのですが、それをメーカーに押し付けるべきで無いことぐらいは理解しています。 さてこの度発売が決定されたドリームキャスト版「ラジルギ」ですが、これから他機種版を含めいかなるソフト展開がなされるのでしょうか。 その展開がドリキャスユーザーの不利益につながらないことを祈ります。 意図はどうあれユーザーをないがしろにすることはメーカーの不利益にもつながっていくことでもあると思います。 今回のこの文章はうまくいけばメーカーさんの目にもとまるかもしれません。 とまることを願ってしがない一ユーザーの思いのたけを書かせていただきました。 ラジルギ発売決定を祝っておしまいにしたいと思います。 祝!ラジルギ発売決定! 2005/12/11 12/12 一部修正。
■植田漫画のゴチャゴチャ。に関するいくつかの説。 漫画の神様といえば手塚治虫先生。 手塚先生以外にも偉大な漫画家は多いですが、4コマ漫画で偉大な足跡を残した漫画家と問えば長谷川町子先生の名を思い出す人が多いことでしょう。 そして、現役の漫画家でかつ4コマ漫画界の巨匠と言えば植田まさし先生。 そんな植田先生の代表作でもある長寿漫画「かりあげクン」。 先日30人の作家がかりあげクンネタで競作する「かりあげクントリビュート増刊」が双葉社から発売されました。 かりあげクンにかぎらず植田先生はよく女性キャラの髪にゴチャゴチャした変な線をよく書くのですが、この本でも2人の漫画家がネタにしていました。
コボちゃんを見て育った自分はこのゴチャゴチャの正体はアシスタントにベタを指示する印なのではないかと長年思ってきました。 今回かりあげクンを読んでみたら、もしかしたら違うのかもと思いました。 ではなんなのか? ■説1 以下の画像をご覧下さい。 このシーンでは二人の女性の髪に描かれていますが、よく見てください。なんとなく昆虫系の絵に見えませんか? 右の女性のアップを加工してみました。 日本で一般的なカブトムシと同等かやや大きいくらいの虫でしょうか。 左の女性の髪にはカナブンぽいのがひっついています。 足が4本っぽいので昆虫でもなさそうです。 ムシ嫌いの自分にこんなのがくっついたら確実にパニックです。 夜、自転車に乗ってる時に顔に張り付いてきたらと思うと寒気がします。 植田漫画で女性の髪についてる変なの(ゴチャゴチャ)は虫(否昆虫)説。 ■説2 これもまず画像をご覧下さい。 これは見たまんまですね。 そうです、○×ゲームです。 みなさんも一度はやったことがあるでしょう。 紙と鉛筆があれば即できるお手軽ゲーム。暇つぶしに最適! まず♯のようなマスを書きその中に先手が○を書く、次の人は×を書き交互に書いていって直線状に3マス揃った方が勝ちというゲームです。 女の人の髪という余ったスペースを使って○×ゲームをやろうという植田先生の粋な計らいなわけです。 植田先生は先手真ん中に○という定番の手を打ってきています。 ただ植田先生が誰に向かってゲームを仕掛けているのかは不明です。 アシスタントにかもしれないし読者にかもしれない。 読者に向かってゲームを仕掛けているとしたらこのゴチャにはかなり深い意味があるのかもしれませんね。 ○×ゲーム説 ■説3 自分では殆ど絵を描かない大物漫画家の存在を聞いたことがありませんか。 説3はこの話を前提にすすめさせていただきます。 つまりこのゴチャはアシスタントさんが仕上げた原稿に植田先生が自らペン入れする最後の仕上げともいえるものなのではないでしょうか。 最後に瞳だけを描く漫画家がいるとかいないとか。 でも、自分の好きな漫画家さんが実際には殆ど絵を描いていないのはファンからすれば残念なことですよね。 説としてあげておきますがこの説が真実でないことを祈っています。 仕上げの一筆説 さて、真相はというと「かりあげクントリビュート」でも明らかになっていませんので、未だ謎に包まれているわけです。 実際には絵によってゴチャの形が微妙に違うので昆虫説も○×ゲーム説もそれ一つに限定するのは無理な様です。 植田漫画を読む誰もが気になるこのゴチャゴチャの正体を知っている方がいたら是非教えてください。 最初に考えていたアシスタントにベタを指示する印説というのが案外正しかったり。 つうかベタ入れてやれよ。 2005/12/5 12月10日(追記) 掲示板に寄せられた情報によると、ゴチャの正体は 『「髪の毛を真っ黒にすると重くなる。さりとて白いままだと絵が寂しくなる」ということで、絵のアクセントとして描いているとのこと』 以上のことが真相のようです。 貴重な情報感謝します。
■天下御免の向こう見ず にちょい意見です。 テレビで見ない日は無いといっても良いほどの売れっ子である爆笑問題。 爆笑問題のレギュラー番組で一番好きなのは「爆笑問題のバク天!」で、毎週楽しみにしている。 特に「太田光の一度やっちまいな!」のコーナーが好きだ。 ところで爆笑問題はテレビブロスという雑誌で連載をしている。 太田光さんは「天下御免の向こう見ず」というコラムを連載していて毎号結構硬いことを書いているのですが、自分は結構太田さんと意見が違うことが多い。 せっかくなのでこの駄文のネタにこのコラムへの意見を書いてみようと考えた。 テレビブロス平成17年10月15日号の「改憲」と題されたコラム。 その内容をまとめると。 1、憲法改正の是非を問うなら国民投票ではなく世界に問うべき。 2、日本が「普通の国」になるより世界の国々が日本を見習うべき。 3、憲法9条が現実でなくても9条の理想を大切に。 4、武力ではなく外交力(話し合い)で解決を。 まず、1の国民投票ではなく世界に問うべきであるということに意見させてもらいます。 改正には憲法第9章第96条の規定により国民投票が必要らしいのだが、現状では国民投票自体の法制化が必要。 コラムでは『憲法九条は世界と交わした約束だから』世界の承認が必要だと書かれています。 自国憲法に改正の手続きが示されているのにわざわざ世界に承認を求める必要なんて無いし、仮に承認の手続きをとったところで賛成してくれる国もあるでしょうが、反対の国もあるでしょうし現実に承認なんて取れないでしょう。 なにより世界に承認を求めたら、それ自体が外交カードのように扱われるのではないでしょうか。 中国は絶対反対するでしょうし、日本に対するカードになりうるとしたら特別悪感情を持っていない国々も反対にまわる恐れもあります。 発言自体が改正しないことを前提としているのでしょうか。 2の話題に移ります。 コラムでは2の部分として 『‘‘世界の国々’’こそ日本に習うべきである。おかしいのは世界の方だ。日本は自分の国を守れないのではない。紛争を解決する手段として‘‘武器を使わない’’と宣言しているだけである。』 と書かれています。 憲法9条の『武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』を根拠として書いているのだと思いますが、同じく憲法9条には『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』とも書いていあります。 これについては自衛権も含めた戦争行為を禁じているとするものや、自衛権の範囲内の戦争は許容されるなどの解釈があります。 個人的解釈ですが、この文章を読むかぎりでは「国際紛争」とは日本に対する紛争(戦争)も含まれる様な気がしますので、それに対する自衛権の為の戦力の保持も認められていないと考えられます。 解釈自体が議論になることもありますので、太田さんが自衛権は認めると解釈するのは問題ないかもしれませんが、自衛権を認めるのなら改正によって自衛権の為の戦力保持も明記すべきだと思います。 戦力の保持無し(武器を使わない)で自衛権を行使でき(自分の国を守れ)ると言うわけでは無いでしょう。 次は3ですが、コラムでは以下のような文があります。 『「日本国憲法」は究極の理想論である。〜中略〜憲法を改正するということは、‘‘理想’’を‘‘現実’’に近づけることだ。〜中略〜「世界の国々から軍隊を無くす」という方向に向かうべきだ。』 日本国憲法全体が理想論ではないと思うのと文脈から察するに文中の「日本国憲法」とは9条のみを指しているのでしょう。 私自身も戦争などしたくは無いし平和を望んでいますので、言いたいこと事自体は理解できます。 しかし、結局9条が理想論だとするなら9条を守りさえすれば平和であるというのも理想に過ぎないのではないか。 コラム中では9条を守れば平和という風に書かれているわけではありませんが、こういう感想が思い浮かんだので書かせてもらいました。 理想を持つということは良い事ですし、世界が平和であることは重要だと思いますが、日本国憲法は誰の為にあるかといえば日本国及び日本国民の為にあるのでは。 すくなくとも世界の為ではないでしょう。 国はまず自国民を守るべきです。解釈の問題もありますが、前述した自衛権について国と国民の安全に関わる問題があれば改正の必要があるでしょう。 誤解される恐れがありますが、あえて書かせてもらえば世界の平和より自国の平和を守る為の日本憲法であるべきです。 ただし憲法に世界平和の為の条項を設けるのには(それが適切であれば)反対はしません。 『人間はどんなに体がねじれていたとしても、必ず目で見つめたものに向かって進む。我々の視線の先には必ず‘‘理想’’を置くべきだ。それが人類の方向性を決める。』 これにはちょっと意地の悪い書き方もできますが、その必要も無いので素直にそうであって欲しいと思います。 いよいよ最後。4について。 コラムの引用をさせてもらいますと、 『では、我々は武力の代わりに何で国を守るのか。それは‘‘話し合い’’、つまり‘‘外交’’である。』 戦争も外交の一種であるかもしれませんが、それ以外の外交の手段、特に話し合いについて。 結論から言うと戦争級の紛争は話し合いだけでは解決出来ません。 ある程度話が通じていてもうまくまとまるかわからないですが、それ以前に相手の方が話を聞くとは限らないですから。 ただし話し合い以外の外交努力があれば武力の行使は避けられると思います。 諜報活動などスパイ的活動などが必要かと思います。 それを最大限に生かせれば話し合いだけで殆どのことが解決できるかもしれません。 太田さんの発言がそういった部分までを含めての「話し合い」だとしたら余計でしたが、コラムの文面からは判断つきかねます。 ただ日本は話し合いの外交も含めてそういった活動全般が弱いので現状では話し合いで解決なんて夢物語かもしれません。 武力によらない外交を目指すなら自衛隊にかける予算を削ってもその分野に投資すべきだと思います。 大体意見し終わりましたが、もうすこしだけ。 この文章を書いていて思ったのですが、「憲法改正=改悪」では無いのではないでしょうか。 改正後も憲法9条の規定を保持することは不可能なのでしょうか? 9条以外の議論があまり出ないのでなんとも言えないのですが、9条以外の改正には問題がないのでしょうか。 施行から約60年経った現行の憲法では想定していない現在の事情もあるでしょう。 私は、改正しないことを前提にした議論よりも改正も含めて、より良い憲法をつくるという議論をした方がよほど建設的だと考えます。 日本国憲法は日本と日本国民の為にあると思いますが、世界の平和も掲げるのなら、その為にもっと良い議論が出来るようになれば、より理想に近づくのだと思います。 --参考サイト等-- 日本国憲法 - Wikipedia 日本国憲法第9条 - Wikipedia 御署名原本 日本国憲法 (国立公文書館) 憲法改正のポイント(自民党) 2005/11/19
■自殺のススメ 世の中には自殺系サイトとかいうものがあります。 思いとどまらせるタイプとか自殺願望(つっても憧れ的な管理人も多いかと)バリバリとかいろいろあるかと。 最近、その手のサイトを少しだけ眺めてみたりしました。 今もやってるんだろうけど一時期練炭自殺とか流行りましたね。 自分はトレンド一般に詳しくないので今自殺界では何が流行っているのかまったくもってわかりません。 きっと「今年の服毒自殺できまり」とかホットドッグプレスあたりに特集が組まれているんだろう。 ああそうさホットドッグなんちゃらなんて読んだ事無いさ。休刊したしさ。 ともかく今年タミフルもといタウリン・・・いや、タリウムとか流行るかもね。今年の冬は流行を先取りして服毒自殺なんていかがでしょうか? 不謹慎極まりない。 それでなくても世間一般はネット絡みの集団(以外もだが)自殺に対して厳しいのに。 最近では自殺仲間募集だけでプロバイダに情報開示させられるようになったみたいです。 あ、うちはセガハード系であって自殺系ではありませんよ。なのでうっとこの掲示板に自殺仲間を集う書き込みしないでね。 一人ではなかなか踏み切れない自殺も仲間とならばなんとかできそうです。 普段はひ弱でみんなからバカにされていたこの僕も自殺系サイトに入り浸ればたちまち人気者に今では仲間や女の子達と練炭パーティー出来るまでになりました。ありがとう自殺系サイト!! 別段おもしろくもねぇな。 ま、身近の人と自殺を語り合う機会なんてまず無いからサイトで知り合うのが一番ベターであることは確か。 どこの世界にも詐欺師がいるのでこれから仲間をつのって自殺したいという人は自殺募集を語った詐欺に引っかからないように注意して仲間入りしてください。それと前述の通りネットを使った自殺募集は警察のご厄介になる可能性があるのでその点も注意ください。 現在日本は先進国でもっとも自殺の多い国で、一日の平均自殺者は89人程度だそうですが、一般的な公立の学校のクラスは30〜40人くらいでしょうか? もうちょっと少ないくらいかもしれませんが、40人と仮定すると一日で2クラス以上自殺しているのですね。多いなぁ。 もちろん亡くなっているのは小学生とか中学生とかじゃないですが。 関係ないですが、たまに中学生とかが学期の始まりとかに普通に死んだりします。 しょうもない理由でしぬなぁ、いやだったら学校行かなきゃいいじゃんって思いますが、多分本人には死ぬに値することだったのでしょう。自分も結構しょうもないことで死にたくなります。 死ぬ気でがんばれば大抵のことはなんとかなるような気も激しくしますが、そんなにがんばりたくも無かったりします。第一がんばれるようなら死にませんから。 将来の展望がないせいかもしれません。 将来のこと考えると憂鬱になりますし。 ちっさい子供とかいれば生きる原動力になるかもしれないけどいませんし。 なんだかんだいってあと十年くらいはなんとかのらりくらり生きていける気がしますのでまだ死にません。 とりあえず自分のことはおいといて、現在の日本はなにかと窮屈な気がします。 もうちょっと楽に生きて行ける感じだったら良かったかもしれません。 人生が長すぎるのかもしれません。 40くらいが寿命だったらもうちょっと真剣に生きていけるかもしれないです。 現代においては他人を傷つけてのうのうと生きていける人間も多いと思いますが、そう考えれば自殺するような人は自殺しない人よりは優しいのかもしれません。 他人を殺すよりも自分が死ぬ方がいいのかも。 世の中には死んで欲しい奴がごまんといます。 凶悪な犯罪者なんかなんで死なないのかね? よくも恥知らずに生きていけますね。死ねばいいのに。 具体的にはあげませんが、元少年犯罪者とかの特に凶悪な奴らとか死ねばいいと本気で思います。 どうしょうもない極悪な輩の内、少年犯罪者と精神異常などの理由でまともな罰を受けていない奴が世間にはいる。 軽微な罪ならいざしらず極悪な罪を負ってしまったものには更生など期待しないし、精神が異常でも罪に対する罰を受けるべきだと思う。 そういう輩に比べれば自殺者はなんて善良な人物なのだろうか。 (もちろん全ての自殺者がではありません) 自殺の話終わり。 後半話がずれすぎました。 自殺 - Wikipedia 少年犯罪者の中で凶悪な部類の奴らに関してはまだ書きたいことがあるのでいずれ書きます。 2005/11/16 |
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